奇跡 -ミラクル- ( 長田 弘 /著 )
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「奇跡」というのは、めったにない稀有な出来事というのとはちがうと思う。
それは、存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、
心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだと、わたしには思える。
日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、
取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。
それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。
たとえば、小さな微笑みは「奇跡」である。
小さな微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失うからだ。
世界というものは、おそらくそのような仕方で、いつのときも一人一人にとって存在してきたし、
存在しているし、存在してゆくだろうということを考える。
「われわれは、では、何にたよればいいのか? われわれが真なるものと、
虚なるものとを弁別するのに、 感覚よりたしかなものがあるだろうか?」
(ルクレティウス「物の本質について」)
「奇跡」というのは、めったにない稀有な出来事というのとはちがうと思う。
それは、存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、
心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだと、わたしには思える。
日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、
取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。
それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。
たとえば、小さな微笑みは「奇跡」である。
小さな微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失うからだ。
世界というものは、おそらくそのような仕方で、いつのときも一人一人にとって存在してきたし、
存在しているし、存在してゆくだろうということを考える。
「われわれは、では、何にたよればいいのか? われわれが真なるものと、
虚なるものとを弁別するのに、 感覚よりたしかなものがあるだろうか?」
(ルクレティウス「物の本質について」)
